大阪借景1.

  • 090423_009
    デジカメは便利。消耗するのはとりあえず体力と電池だけで、フィルムは要らないしDPEに出す必要もない。仕上がりはその場で確認出来るからブレテいたりフレームアウトしていたら即削除出来る。不便なのはタイムラグがあることかな。瞬間をピンで留めることが難しい。これは一眼レフに適わない、と思っていたら一眼レフ型のデジカメまで登場してしまった。あっちゃ。

人物1.

  • 090504_030
    私はもっぱら看板とか川とか町並みとか専門で普段人間はあまり撮らない人だけど、たまに狂ったように人物を撮影します。あっそ、うっふっふ。
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2009年2月

2009年2月26日 (木)

blogは日記ではない。

*余所の話で恐縮だが、私は昨夜気づいたが、goo-blogのランキングが10,000位まで表示されることになったのである。(これまでは1,000位迄の表示だったから私がランクインするのは年に一度あるかないかだった。)ランキ ングに載るかどうかのボーダーラインは一日100ipあるかどうか位になったのだろうか、私で言うとこの一週間の最高位が『将棋脳』のときの4,474位でこのとき は171ipあったが、これは記事が優れていたというよりは同じくgoo-blogの『棋士・渡辺明』へ図々しくもTBして運良く受理されたからだろう。あ の人は気さくな人で、将棋関連の記事なら大抵即日受付けてくれる。ラッキーッ!圏外はこの間2回あった。あちゃ。昨日は109ipで9,420位というぎ りぎりの入選だった。汗。ここグー・ブログの数が今120万に届こうという感じで毎日増え続けている。以前言及した某飴風呂が公称800万あってそこが日 本一のブログ数だそうだ。あそこには『ぺタ返し』という先祖伝来の風習があって、私も暫く嵌っていたがもう疲れたので今は付合い程度に留めている。ぺタも こちらから巡礼の旅に出掛けないと途端に付くぺタも激減する。あと、私は利用したことはないが、飴風呂では『致せり尽くせり』というか『おんぶにだっこ・ 手取り足取り』というか『ブログネタ』も日々あれこれ提供してくれるのである。(←このサービスはココログでもあるようだ。汗)「そうまでして書きたいか、バーロー、てめえら!たかが「電動日記」じゃねえか、 うざったいちゅうんじゃ、この抜け作が!」などと間違っても悪態をついてはいけない。みなさん毎日自分の意思でやることを探すのに懸命なのである。ここでの私のように時事ネタ主体 のブログを書いていれば(書く気力・意欲は別にして)ネタに困ることなどまずあり得ないが、これを「日々思ったこと、感じたことを・・」などと言っている と早晩「ネタ切れ」に陥る。我々の日常なんてそうそう波乱万丈というわけには行かないから「ネタ切れ」は誰もが経験する試練だが、これがけっこう苦しいの である。あはは。汗。別に誰に強制されるわけでもないのだから書くことがなければ書かなければいい道理だが『ブログ依存症』とでも言うのか、我々の多くは 既に一種中毒症状を起こしていて、アップしないでいると「苛々する」「喉が渇く」「寝汗をかき悪夢にうなされる」等々の禁断症状が現れたりもする。(←ほんとかよ!?)

 ブログは人に読まれる(読ませる)ことを前提として書かれるわけだからいわゆる『日記』とは 違う媒体の筈だけど、つくづく妙な文化が定着してしまったもんだね。私が中学生の頃はせいぜい好きな子との秘密の交換日記とか文通とかだったんだけど、今はプロフとブ ログの時代だもんね。ぁそ。

追記:2ヶ月前に亡くなられた故飯島愛さんのblogも飴風呂で、さっき見たらコメントが49,107件あった。まだ当分は増え続けるだろう。

2009年2月25日 (水)

洋画3本。

だいたいが(はあ?)オスカーにしても騒ぎ過ぎでみっともないったらありゃしない。報道の『ラベル』が低過ぎる。なんでアメちゃん以下欧米文化に権威づけられないと日本 映画は国内での評価が定まらないのか。これじゃあ明治維新以来進歩というものがないではないか。私はワシントンポストのオスカー関連の記事を探したが、目 立つのはオスカーを受賞したインド映画「スラムドッグ」と主演女優賞の記事ばかりで、私は「デパーチャー」の「デ」の字も発見出来なかった。別にハリウッ ド映画やインド映画の悪口を言うつもりはないが、彼の地で主流を占めるド派手なアクション映画を絶賛した人たちに、これとは好対照を成す地味な内面描写に 拘った日本映画の良さを過不足なく了承出来るものかどうか、老婆心ながら私には甚だ疑問である。・・というわけで久しぶりにトビタへ行って、しかも洋画を 見て来たが、やっぱりド派手だった。w .

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1.王妃の紋章(2008)→公式サイト・・これは後唐の時代に原案を探ったという、一年前に公開されたばかりのWBの映画で、日本で言えば遣隋使・遣唐使の時代をちょっと下がった「五代十国」の乱世直前の中華王朝中枢の血で血を洗う内紛を描いている。
 まあ、近親憎悪・近親相姦有り、同族殺し有りの、巨大な軍団がCGを駆使して群舞する実にもの凄いアクション・バイオレンス映画で、賛否両論を惹起した『08北京オリンピック』の政治臭芬々たる演出より私は遥かに好感を持った。『300』より凄いかも。(笑)
 アメリカ人というのはこれ程までに「これでもか、これでもか」とやらないと納得しなくなっているんだな。
 だからこれが史実に忠実かどうかとか、時代考証は正確かどうかとかを論じても余り意味がないと思うけれど、時代考証はかなり入念にやっていると思わせる描写は各所に散りばめられている。

cf.中国の歴史(とりわけ隋唐時代あたりをよく読んでねっとんとん)。

cf.王妃の紋章 - goo 映画

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2.ミラクル7号(2008)→公式サイト・・こちらはチャウ・シンチーの香港映画でジャンルは学園もののSF映画ということになるのかな。細かい点で不満を言えばきりがないが、かなり笑える(しかもほのぼの系の)映画であることは確かだ。主演(助演?)の息子役の子は実は女の子だというのも、初めて知った人は必ず驚くことになっている。w

cf.ミラクル7号 - goo 映画

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3.キル・ビル←私が見たのはvol2.の方だが、ウィキペディアによれば元々はvol1.(2003)と2.(2004)は一本の映画になる予定だったが長過ぎたため分割されたということであり、一作目が好評だったため二匹目の泥鰌を狙うという普通のパターンとは違う。『女殺し屋の復讐譚』をテーマとしたバイオレンス映画だが、vol1.は残虐シーンが問題とされて各国版が編集されたそうだ。
 この映画のタランティーノという監督は日本通で夕張映画祭にも来ていたし、香港映画等にも一家言を持つ人だそうで、終わり方は一種不気味で、そう言えばエンディングには梶芽衣子の『怨み節』も流される米亜の諸潮流が混濁した不思議な映画である。

cf.キル・ビルvol.2(2004) - goo 映画

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2009年2月24日 (火)

夢。

 今日は夢についてとりとめもない小論というか駄文を試みる。と言って私は夢占いや夢判断、夢診断などとは無縁の人間で、フロイドだのユングだの引用されてああだこうだと尤もらしい御託を並べられても全然信用出来ないというかせいぜいのところ「ほんとかよ!?」という感想を抱くだけでその真偽の程はさっぱりわからないというか、とてもじゃないけど信憑性を疑う。『科学万能』とは言わない迄も私は占い一般を信じないし、夢についてはまだ科学的に解明されていないことが多いから玉石混交・議論百出、誰もが好き勝手を言えるというのも大いに気に食わないところであるというか、何かいかがわしい新興宗教のようで信用出来ないのである。「夢学」などという学問の分野はまだ確定されていないのだ。だが、しかししかし、である。(はあ?)ここに私は先日「これは・・!」と驚くとっ拍子もない仮説を何かで読んだのでそれを紹介するあるよろし。と、ここで私の記述は一気に大道香具師風になるってか、はあ?それは何かと言うと・・えへん、ゴホゴホッ、さあお立会い、前の人はこの線まで進んでくだされ、あっ、後ろの人が見えないからしゃがんでねっとんとん・・♪(←私のblogの古い読者は知っているが、このギャグを私はこれまで何回も使って自分だけで受けているのである。ぁそ。)で、夢にはなぜ、これまで一回も会ったこともない人や見たこともない生物・動物が登場して来るのか?なぜこれまでの人生に於いて知悉し得なかった生命なり物体なりが突如として登場するのか?云々が私には不思議でたまらない時期があったと仮定して下され。これへの合理的な(?!)説明として『死者からのメッセージ』という仮説は充分にあっていいと考えられるのである。「夢は先達からの贈り物である。」そう考えるといろいろ説明のつくことが多々ある。・・とまあ、今日はそういった妄想をつらつらと書き連ねてみるのである、さあお立会い。ぁそ。

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 1.まず、夢について私が日頃疑問に感じていることを幾つか上げてみると:

①どんなに生々しい夢でも、夢から醒めた途端すっかり完璧に忘れてしまうことが多々ある。なんとかその夢の欠片でも復元しようと未練がましく努めたりするが、その試みはまず成功することはない。

②その逆に「いつまでも覚えている夢」や「反復して何度でも見る夢」というものもある。いわば夢の只中での「デジャヴ現象」(既視感覚)というものがあって、その場合「この夢は見たことがある」「この場所には来たことがある」と自分でも納得していることが多い。目覚めてから反芻して、その状況設定が現実にはあり得ないシチュエーションであったとしても、夢の中ではあくまで一種独特のリアリティがある。

③目覚めた直後に、直前まで見ていた夢を自分で合理的に説明出来る場合がある。明らかに実社会での体験にアレンジを加えたと推測される夢で、その場合は誰の力も借りず自分独自で「夢判断」をすることも可能である。登場人物も知人が出演していたりして実にわかり易い。但し現実に起きた出来事を夢の中でそっくりそのまま反復することは、私の場合はない。

④この逆に、生涯一度も出会ったことのない(筈の)人とやけに親しげに話したり深刻なテーマで議論したりすることもある。夢の中ではそういう出会いを別段不思議に思うこともないので覚醒してから「何なんだ、これは?!」「何故俺がこんな夢を見なくちゃいけないんだ?!」と不思議に思う。

2.夢の舞台設定は複合的で時空を超越してあれこれ自由に混合されている場合が多い。夢というものは原則自由かつシュールで「何でもあり」なのだろうと思う。タブーや約束ごとはないというか、仮にあったとしてもそれを個々の事例に沿って逐一詳しく解析することなどは困難である。
 晩年の黒沢映画にタイトルもそのままの『夢』という映画があった。映画自体芸術自体が『夢』を扱う媒体だから、これを敢て映画のタイトルに据えるということが私には「結局みんな興味はそっちへ方面へ行くのか」と、意外と言えば意外だった。

 歴史家羽仁五郎が晩年、何かの会合で同席した埴谷雄高を捉まえて「君がいつまでも夢のようなことを書いているからいかん」と叱責したという逸話がある。
 なにせ埴谷さんと言えば『死霊』であり『闇の中の黒い馬』だから。w

3.夢というとすぐに引き合いに出されるのが「Rem睡眠」と「Nonrem睡眠」で、私が中学~高校の頃は、夢は寝ている間に眼球がコロコロ急激に動き回る「Rem睡眠」時に見ているものだというのが定説だったが、現在では「Nonrem睡眠」時にも夢は見る、むしろ強度の心理的圧迫を伴い寝汗をかくようないわゆる『悪夢にうなされる』場合は眼球が動かないNonremの場合に多いというのだ。

4.夢と大脳の記憶との関係はしばしば指摘されている。記憶のために我々の脳はいくつもの引き出しを持っていて、その記憶を整理し「無意味な情報を捨てて、有用な情報を残す知覚作用が夢である」などというものであるが「覚醒後の実生活への準備のために夢を見ているのだ」などと言うに至っては議論が「実用主義」に偏り過ぎていて私には興ざめである。大脳生理学がどうの、脳波の働きがどうの、深層心理がどうの・・といった本格的な議論は当然必須だろうが、私にはそこまで詳述する能力はない。あちゃ。

5.概要文で少し触れたが「夢は死者からのメッセージである」という仮説が私の目下のトレンドでお勧めである。ちょっとオカルトっぽいけど、これがなかなか想像力を刺激する仮説なのである。
 およそ生命というものを個々の個体中心に考えてしまうと、その歴史は一言『死屍累々』と言う以外になく、夥しい屍の連鎖を前提としなければ我々の今日はないと言える。
 で、問題は死んでしまった者たちが生前脳裏に保持・格納していた筈の種々雑多な想い・想念・雑念・怨念・確執etc,は個体の死後いったいどこへ行ってしまうのだろうか、という点である。すべてはきれいさっぱり宇宙の彼方に雲散霧消してしまうというのが目下のところ『科学的』な説明ということになっているのだろうが、それでは寂し過ぎると私は思ったりするのである。
 「我々は死んだらどこへ行くのか」「我々はどこから来てどこへ行くのか」という人類始まって以来の疑問にこの仮説は多少なりとも答えているのである。
 つまり『夢』が『夢』を連綿と引き継いで我々の想念を継承し続けているというのである。
 夢バトンである。ぁそ。

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6.三日前見た夢はパチンコの夢である。私ではなく知り合いらしい人物が打っていて私は彼の背後から彼をサポートする役目のようである。知り合いは程ほど出している様子だが、隣にはヤクザ風の男が打っていてそちらは負けが混んでいて不機嫌である。まあそういう状況設定だが、そこからが意味不明で、打ち手がザラザラ皿に溢れて来る出玉の中にアルミ缶のプルトップが混じり込んでいることに気づいてそれを気にし始めた。今考えると、現在のアルミ缶飲料はプルトップ一体型だから、プルトップだけが外れてパチンコ球の中に混ざって来るなどというのは変な話だが、夢だからしょうがない。で、私が台の裏側を調べに入るとそこには平たく潰した数多くのアルミ缶を収集する巨大なベルトコンベアがあって、全体は工場のようになっている・・という、そういう夢だった。あっそ。意味不明である。
 他にも私がライブコンサートで岡林の『山谷ブルース』をアドリブで熱唱して結構受けるが、私の退出と入れ違いに会場へ入って来た若者の人気の方が遥かに上回っていたとか、今朝はまた別の興味深い夢を見たが、そっちはこれを書いているうちに内容をすっかり忘れてしまった。残念。ぁそ。

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cf.ウィキペディアによれば『夢とは睡眠中に起こる、知覚現象を通して現実ではない仮想的な体験を体感する現象をさす』となっている。

というわけで、グーグルに検索をかけてみたが、ウィキペディア以外ではこれと言って気を惹かれる記述は見当たらなかった。もっと面白いことがたくさんあると思って期待していたのに・・。

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cf.同じくウィキペデイア地球によれば:

 地球は2008年現在のところ、知られている中で唯一生命体の確認されている天体である。生命は地表だけではなく、地下10km程度から上空100kmに至る広い範囲に存在する。大気の組成(酸素の濃度)は植物によって維持されている。

  * 生物圏(ガイア)
          o 生命、生物、動物、植物
          o 人類の活動が与える惑星地球、特に生命圏への影響は大きく悲観的な意見も少なくない。
          o 地球を地殻、海洋や大気などのシステムの集合体として捉え、これらシステム相互の物質循環、エネルギー循環によって地球という惑星を捉える考え方もある。このような捉え方では、人類が狩猟採集の生活様式を取り、自然界の一要素として存在している場合には、人類を生命圏というシステム内部の要素として考えておけばよいとする。しかし、人類が農耕など自らのために環境を改変するようになった場合には、人間圏という新しいシステムが地球に誕生したとみなし、新システムと既存のシステムとの相互作用によって地球表層環境が定まるという見方をする[1]。このような見方に立つと、現在の地球は新しいシステムが誕生し、システム相互の新たな均衡に向かって変化しつつある時代に入ったということもできる。

 ・・ということである。
 
 太陽の寿命は100億年で今50億歳、地球を含む太陽系惑星もほぼ同時に生成されたらしく、隕石や月から持ち帰ったサンプルの岩石からは46億年という年代が測定されている。

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cf.ガイア理論

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2009年2月22日 (日)

テレビ散見。

1.これはまたヒラリーネタだが、こちらでは余り報道されなかったが、日本の次に訪問したアジア最大の回教徒人口を誇る某国では、彼女は「靴投げデモ」の手荒い歓迎(?)を受けた。
 その映像の直後に歓迎レセプションの様子を見たせいか、式場に足早に入って来る彼女は「またどこかから靴が飛んで来るんじゃないかしら?」とでも疑っているかのように、きょときょと会場全体を見回しているように見えた。
 彼女が外交デヴューの最初の訪問国に日本を選んだのは、日米関係重視の故というよりも、一番無難なところを選んだからだろう。世界広しと言えどもこれほどまで「手駒」として計算出来る国は他にはない。

2.タカジンの「そこまで言って委員会」を見た。最近は「サンプロ」は見ずに将棋を見て、政治関連はこっちを見ている。こっちの方が面白いからだが、なんたらかんたら理屈をつけて自民党を持ち上げ続ける田原は不愉快だ。
 将棋と言えば一昨日別のblogに『将棋脳』という一文を書いて二日間で300ip以上のアクセスを稼いだ。(ここにも回し記事は載せたがip数は無残だった。泣。)pvではなくip数でこんなに稼げたのは私としては久しぶりの快挙(怪挙?)だった。仮にその全部が巡回ロボットの仕業だったとしても多い。笑。

3.それでタカジンの中でも言われていたことだが、読売・ナベツネがまた『チーズ・森』と料亭で暗躍して、今度はポスト・麻生にあの桝添参議院議員を担ぎ出そうと画策しているらしいのである。勿論参議院議員でも総理大臣にはなれるし、なんならセンキョで衆院へ鞍替えしてもいいわけだが、フィクサー気取りの老害どもが料亭で根回しして国政をミスリードする企みを、一言の批判すら出来ないで当たり前のようにニュースで流す大マスコミとはいったい何なんだろうか?!

2009年2月21日 (土)

報道はいまや野太鼓と化したか。

大臣と同席した「読売美人記者」 プロフィール削除などで波紋広がる

2009/2/20     このエントリーを含むはてなブックマーク はてなRSSに追加 この記事をBuzzurlにブックマークする この記事をクリップ! Yahoo!ブックマークに登録 newsing it!     コメント(6) 印刷

   中川前財務相のワイン昼食会に「読売美人記者」が同席したと、スポーツ紙などで話題になっている。取材先に食い込んでいるとも言えるものの、ネット上では、癒着だなどと批判の声が多い。プロフィールまで晒され、読売側が削除する騒ぎになっている。

2ちゃんねるなどで、女性記者の写真晒される

    「美人記者」を報じたスポーツ紙や夕刊紙
「美人記者」を報じたスポーツ紙や夕刊紙

「中川前財務相 美人記者と酒」

   こんな1面ぶち抜き見出しで報じたのが、日刊スポーツ。2009年2月20日付の記事では、中川昭一前財務相がG7記者会見直前にワインを飲 んだ昼食会で、読売新聞の記者を招いた様子を再現した。ワイングラスを前に、「お気に入り30代記者」と並んで座るイラストまで掲載されている。

   昼食会の様子は、財務省の玉木林太郎国際局長が19日の衆院予算委員会で明らかにした。それによると、読売記者には、「取材で近寄ってきて、 時間がないので入ってもらった」という。ワインは、中川前財務相自らが注文し、レストラン側から「このボトルでいいですか」と聞かれ、「それでいい」と 言った。

   ネット上では、民放キー局、外資系通信社の女性記者も同席したとの情報が流れていた。が、国際局長は、読売以外の記者がいたとはしていない。

   読売記者は、昼食会前日夜の飲み会でも、参加した記者4人の中に含まれている。それだけ肉迫していたわけだ。昼食会では、中川前財務相は、「口を付けた程度」といい、読売新聞の20日付記事によると、記者はグラスに口をつけていないとしている。

   読売新聞は、紙面上などでこの記者の素性を明らかにしていない。しかし、他の新聞各紙では、「女性記者」「美人記者」などと特定して報じている。毎日新聞は、中川前財務相が女性記者ばかりと飲食していると報じていただけに、ネット上は、その話題でお祭り騒ぎに。

   読売記者の同席が明るみに出た18日は、2ちゃんねるなどで、同席したとみられる女性記者の顔写真が晒されてしまった。顔写真は、読売新聞ホームページにある採用情報の「第一線で活躍する先輩記者」で、プロフィールに載せられていたものなどだった。

「取材の内容や過程については、従来よりお答えしていません」

   ところが、読売新聞のホームページからは、女性記者のプロフィールが、ネット上に晒された2009年2月18日中に削除されてしまった。なぜ 削除したかについては、この日のJ-CASTニュースの取材に対し、読売新聞東京本社広報部では、同席したのが女性記者なのかどうかも含めて、「取材の内 容や過程については、従来よりお答えしていません」とだけコメントした。

   ネット上では、「読売の記者はたんに、熱心に取材してただけじゃねえか。どこの会社も営業だったら得意先とのコンタクトは大切だ」(2ちゃん ねる)と、食い込んだ取材ぶりを評価する声もある。しかし、女性記者のプロフィール削除などがかえって疑念を持たれる結果となり、政治家との癒着から謀略 説まで、根拠がない憶測が飛び交うようになっている。

   昼食会同席については、J-CASTニュースにも読者から様々なコメントが寄せられている。18日の記事「『中川大臣酩酊してませんか』 会見出席記者なぜ質問しない」のコメント欄では、

   「まず政治家、マスコミ両方の緊張感のなさ、政治家と記者との飲食、飲酒することを業界的に許してるのが問題」(「解体せよ」さん) と、厳しい声が上がった。また、次のように、政治家の言いなりになる危険性を指摘する書き込みもあった。

「そもそも、女性記者のみをワイン会に参加させることをマスコミが認めていた時点で問題なんだよな」(「にゃん」さん)

   マスコミ不信が強まる中で、今後、報道各社は、政治家ら取材相手との飲食をどこまで許すべきか、その距離をどう保つかについて、再考を迫られそうだ。

以上『J-castニュース』より。

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 閣僚等主だった政治家にはメディアから『番記者』というのが張付く。あれこれ自らの周辺を四六時中嗅ぎ回られる側にしてみれば、これをあの手この手で垂らし込んで篭絡してしまえば話が早くて都合がいいわけである。中川にあてがわれた読売の番記者などまるで御殿女中ではないか。はあ?30代の美人記者だってか。さすが「日本一!」だ。

 芸能プロに抱き込まれてあることないこと吹きまくって日々生計を立てている芸能記者だって、或いは御用報道のスポーツ記者だって同じことだ。

 一般に『関係』というものは腐敗するものなのである。絶対的な関係は絶対的に腐敗する。『事件』がAPによって世界中に配信されるまで一切報道もしなければ呑んだくれの中川本人に諌めもしなかった報道陣やお付きの官僚どもがいい例だ。それでなくても我々には『馴れ合い』を好む習性が拭い難くある。仲良くしていた方がお互い楽だからである。

 メディアの腐敗は根深いものがあるが、彼らの自浄能力に期待することはまず困難である。とりあえず我々に出来ることは、せいぜい日々チェックを怠らず、毎日露見して来る泡沫の如き腐敗事象には徹底した批判を加えるしかない。奴らの『更生の道』はその中にしかないからである。昔西欧方面のさるお方がいみじくも「全ては疑い得る」と仰せられたが、今我々がそれを言うとしたらさしづめ「誰も信用するな!」ということになるのだろう。

2009年2月20日 (金)

将棋脳♪

今日は久しぶりに将棋の話などをしてみようかということだが、まず私事これは歳のせいだろうか、私は例の「ボ ナンザ」に全然勝てなくなってしまった。あちゃ。一年くらい前に10勝目を上げて以来連敗が続いている。流石にまだ一千敗迄はしていないと思うが(!)通 算すれば恐らく十勝数百敗という成績である。「待った」機能があればこんなことはないのだが(はあ?)卑しくも男子たるもの(ええっ?)たかがパソコンソ フト風情相手に「待った」なんかしては沽券に関わるのである。てか「ボナンザ」に「待った」機能があるのかないのか、私はいまだに知らないのだ。あっ ちゃ。こんなことではもう一生勝てないかも知れないと思うと泣くに泣けない。敗因を私なりに分析すると、まずは注意力散漫というか、若い頃だったら絶対 ひっかかることのなかった騙しの「嘘手」に簡単にひっかかってしまうようになった。敵は氏素性の悪い下品な性格で(はあ?←つまり勝負事というものは強過 ぎるということは下品なことなのである。ぁそ。)で「なんだこりゃ?」と思うような変な手を知らん顔して取り澄ましてやって来るから始末が悪い。私がそれ を感覚だけで見咎めて「将棋にない手だ」とか「棋理にない手だ」とかご高説を垂れても実際それにコロッと騙されて一遍に不利に陥ってしまうのだから「負け 犬の遠吠え」以上ではない。将棋というのは実に恐ろしいゲームで、敵方のどんな悪手もあり得ない筈の嘘手も、それをこちらが正確に咎めることが出来なけれ ば途端に絶妙の好手・巧手に転じてしまうのだ。かくなる上はもっと弱くて品のいい(はあ?)将棋ソフトも数千円で売っているからそれを買って来た方が精神 的なゆとり・老後の安寧のためにはいいかもしんないといっつも思っている私である。とほほ。というわけで、昨日「囲碁・将棋チャンネル」で王将戦第三局の 棋譜解説を見ていて感じたことだが、ちょっと後手番羽生王将の負け方がひどいというか、終局図挑戦者・深浦王位の成桂と歩で羽生さんの飛車と角が(無論王 様も反対側でだが!)雪隠詰めになっているのである。同じく次の王将戦第四局での勝ちっぷりが完璧だっただけに、この敗戦図は私には印象深かった。将棋界 の勢力図も私の知らないうちに大きく様変わりして、あの「強過ぎる」羽生さんも「普通の」強いおじさんになってしまったようで、親しみを感じる一方一抹の 寂しさも禁じ得ない。

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*もうこれは去年の話になってしまうが、プロ棋士の脳波を実証的に測定して調べたところ「手品の種」がある程度わかったというか、これまで知られていなかった事実が判明したということである。

 将棋を少しでも齧ったことのある人なら誰もが感じる疑問だが「どうしてプロはあんなに何手も先を読めるのか?」とか「プロの頭の中はいったいどうなっているのか?」といった素朴な疑問に将棋連盟の協力を受けて科学の側からメスが入ったのである。

*原田九段が「三手の読み」と言い、加藤(一)九段が「直感精読」と言うプロの読みであるが、例えば加藤九段の大盤解説などを見ていると「こう行く、こう 来る、こう行く・・」との呟きが頻繁に漏れ聞こえて来るので「ああ、プロも基本の読みは我々素人と大差がないのかな?」と錯覚しそうだが、これはあくまで 即興芸(?)での話で、現実の対局はそんなに単純なことでもなさそうである。

 確かに「(自分がまず)こう行く、(すると相手は多分)こう来る、(そうしたら自分は)こう行く」といういわゆる「三手の読み」が初手から終局まで一貫 して完璧に可能なら「向かうところ敵なし」の無敵モードだろうが、将棋の指し手というものは一応「変化無限大」ということになっていて限られた時間の中で は羽生さんだろうと渡辺竜王だろうと、それは絶対不可能である(と思う)。汗。

 まあ言ってしまえば一般に勝敗を競う対戦形式のゲームにおいては「人間は過ち得る」「人間はミスをする動物である」ということが大前提になっているのである。これはスポーツだろうと囲碁将棋だろうと同じことである。

 端的に言ってしまえば、問題は「或る一人のプロ棋士が読みに耽っている間に彼の頭の中ではいったい何が起こっているのか」ということである。何も遥かな る宇宙の彼方から何か「人智の及ばぬ神憑り的な啓示」を受けてそれが一種「閃き」となって脳内で発生しているというわけではなさそうだが(!)実はそれに 近いことがプロ棋士の頭の中では起こっているらしいのである。

 詳しい話は ↓ 下の記事等を参照して吟味して戴きたいが、対局中彼らは「読み」や乃至は瞬時の「閃き」の中で、私たち一般の人間が普段は殆ど使用しな い脳内の特定領域を頻繁に使用して、その結果瞬間の図形認識等が可能になり、まだ出現していない遥か先の盤面というか、個々の想定される局面が頭の中で はっきり見えているらしいのである。電気信号が流れて、その領野が赤く染まったりしちゃうからわかるということである。これは格別目新しい見解でもなさそ うだが実験結果がそれを裏づけ実証したことが新しいのである。あちゃ。

 あらぁ・・てことは考えようによっては、彼らは我々の知らない『奥の手』を使ってズルをしているのだ(はあ?!)ってか、これもプロ養成期間たる『奨励 会時代』の渾身の研鑽の賜物だろうが、我々の脳は鍛えに鍛えればまだまだ未知の能力を発揮し得る一種「宝の宝庫」なのである。それを引き出すも溝に捨てる も我々個々人の自由の範疇に属する問題である。我々大方の凡人は「大脳を鍛える」ことも殆どなく、隠された能力をいたずらに秘蔵(死蔵?)したままこの世 からおさらばしているらしい。もったいないと言えばこんなにもったいない話もないが、それもこれも「カラスの勝手でしょ♪」というわけである。

 大脳の働きについて我々にはまだまだ知らないこと、解明されていないことがたくさんあるらしくて、各々方、『三四郎』(漱石著)のなんたら先生じゃないけど、宇宙よりも何よりも我々の頭の中の方が遥かに広いのかも知れませんぞ。ぁそ♪

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cf.富士通・・プロ棋士の直感思考回路を科学するというコンセプト。

cf.そのシンポジウム

cf.ボナンザ・・で、これが渡辺永世竜王を苦しめた(?)というフリーの将棋ソフト。

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2009年2月18日 (水)

アル中・中川とヒラリーさん♪

 中川はあれは普通「アル中」かもしくは「アルコール依存症」と言う。台所で飲めば「キッチンドランカー」だ。 共産党の小池さん(お医者さんらしい)も言っていたように「風邪薬」の飲み過ぎなんかではあり得ない。だいたいヘベレケだったじゃねえか。言い訳に使った 「クスリでラリル」という発想も古臭いし、日本じゃちょっと勤まらないから、ロシアの閣僚にでもスカウトして貰ったらいいんじゃないか。あそこらへんは冬 はウオッカを飲まないとやっていけないそうだからね。あそ。「失態、失態」と言うが、随行記者団や官僚たちは何をしてたんだ?!APが取り上げなかったら 従来通り「見て見ない振り」で通したわけか?これもひどい能無しだぜ。「金魚の糞」よろしくちゃらちゃらおべんちゃらばかり言ってないで、「挙動不審」 だったら少しは諌めろよ、役立たずが。ばかやろう!「周囲では(中川のアル中は)既定の事実だった」なんて、てめえらだけの内輪ネタにしてやがんの!俺ら そんなこと聞いてねえぞ!初耳だ。中川と言えば、ちょっと前「絆創膏」貼って記者会見に臨んだ「あの人変なんです!」的志村顔負けの「変なおじさん」だろ う?!いや、あれは赤城とかいう2世議員だったってか。あちゃ。あのへんは「みんな同じ」に見えるぜ。とにかくあの酩酊野郎が「麻生の盟友」で東大卒だっ て言うんだから「アホにはアホが取巻く」ということか、帝国ホテルのラウンジもろくなもんじゃないことが諮らずも露呈したってか、国会でも「ごっくんはし ていない」などと恥も外聞もなくにやついていたかと思えば「医者と相談して(はあ?)」やっぱり辞任するそうで、いずれにせよお前の出番は終わったのだ。 もう金輪際用無しだ。これが世襲議員の狎れの果てだ。とっとと失せろ!

*というわけで、ヒラリーさんが来た。超ハードなスケジュールである。この人も昔は きれいな記者さん(←誤。弁護士歴15年の後大統領夫人)だったが、今は「有能な政治家」そのものという感じで貫禄がついている。『鉄の女』というよりも ガードが堅くて言質を取られないという印象である。今回は小沢さんも含めて「面を通した」「顔を繋いだ」というだけのことで、細かい実務等は霞ヶ関(外務 省)と米国務省とで詰めて行くわけであるから、我々としても過剰な期待はしてはならないのである。官僚やら閣僚やらに期待する時代ではないからだからである。

2009年2月 9日 (月)

09Feb01.京橋。門谷純のtalk.

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